銀行で待ちぼうけ。

ただいま銀行で、不動産売買の決済に立ち会っています。正確には、近くの不動産会社で、売主さん買主さん、仲介会社さんと書類のやりとりをし、売買代金の送金のために銀行にやってきました。

今日は、11月の末日。銀行が込んでいます。買主さんは銀行から住宅ローンの融資を受けてそのお金で売主さんに支払いをするわけですが、その融資のお金がなかなか振り込まれない。銀行の応接室で、暇を持て余した関係者たちが1時間ほども待たされる。月末によくある風景です。

しかし今日は、応接室ではなく、ふつうに銀行のロビーで待っていますので、関係者はみなそれぞれ自分の仕事(?)をしています。PCを出して作業を始めた人もいれば、読書をする人もいたり、じゃあ僕は事務所の業務マニュアルをつくろうと。で、少し飽きてきたのでブログを書いています笑

2時間が経過しましたが、まだ終わる気配はありません。

クラシックギター。

クラシックギターのコンサートに行ってきました。

逢坂剛の「燃える地の果てに」という小説の中で、フラメンコギターが重要なアイテムとなっていて、読み終わったらなんだか無償にギターを聴きたくなりまして。

You Tubeとか、iPhoneで聴くのもいいですが、やはり生はいいですね。最前列に座れたので、本当に細かいニュアンスまで堪能できました。自分もギターを弾くので、プロの凄さもよくわかりました。もう、なんというか指の動きが謎すぎて。やっていることは分かるのですが、なんでそんな動きができるの、って感じで。

クラシックギターでしたが、パーカッシブな奏法もあったり、バラエティにとんだ選曲でした。

そうそう、「燃える地の果てに」は、だいぶ面白かったです。

YAMAHA Sea Style

YAMAHAのサービスで、Sea Style というものがある。簡単にいうと、全国の提携マリーナで、ボートをレンタルできるというもの。

ふだんはディンギーヨットとセーリングクルーザーに乗っているのだけど、モーターボートで遊ぶのも面白そうである。湖で船をとめて、のんびり読書なんていうのもいいかもしれない。

これから寒い季節になるので、なんでいま申し込んだのだろうと自分で自分がよくわからないが、来年の夏あたりはいろいろ挑戦しようと思っている。
送られてきた会員誌を見ると、世界のリゾートで船に乗る写真などがある。今まで、そういうところとは無縁だったので(過酷なのばっかり。。)、これから行ってみたいとも思っている。

「相続の6つの物語」

エンディングノートは80代、60代、70代は「やりたいことリスト」だ、という。それはそうかもしれない。しかし、60代になるまで「やりたいことリスト」がない人生というのも嫌だな。何歳だって「やりたいことリスト」を片っ端からやっていくほうがいいに決っている。
相続にからむ仕事をしていると、「自宅は売ってほしくない」という親と、「兄弟だれも住まないのだから売ってしまいたい」という子どもの思惑が対立することがある。自宅を売る、ということに対する抵抗感はまだまだ大きいのか。しかし、相続財産が自宅とわずかの現金というケースより、相続財産は現金のみというケースのほうが圧倒的に揉めないのである。
いずれにせよ、人は税金のために生きているのではない、というのは納得だ。

「どんでん返し」

他人のフィルターが邪魔なときがある。「これは美味しいよ!」と言われて、期待して食べても、「うーん、そこまででも・・・。」ということもある。というか多い。味覚なんて人それぞれだからそれも当然と思うけど。

まあ、食べ物については、その人がよかれと思って紹介してくれているものなので、よしとしよう。

しかし、嫌いなのが本の帯である。当然、売るために書いてあることなので、盛っている。「衝撃のラスト!最後の一行で世界が一変する」とか書かれていると、どうしたって、最後の一行にどんなことが書いてあるのだろうと意識してしまう。

「どんでん返し」系のミステリは大好きだ。しかし、「この本はどんでん返しがありますよ。叙述トリックですよ」なんてはじめから言われて読むのはぜんぜんダメである。

まったく何の先入観もなく読むのがよい。Kindleは「帯」がないという点においても優れているかもしれない。

で、最近、読み終わって、「え!?マジで!」と思ったのが、三浦綾子「海嶺」。江戸時代の船乗りが海難で漂流し、アメリカやらイギリスやらを転々とする話なのだが、そのラストに驚かされた。どんでん返しというわけではないが、マジで!?であった。

物語というのは、ラストシーンをどうするかで、その印象はやはり大きく変わるだろう。村上春樹の小説でいちばん好きなのは、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だが、ラストシーンがとくに好きだ。単純なハッピーエンドより、切ない終わり方のほうが好きなのだ。

「君の名は」という映画は面白かったが、ラストシーンは、出会えず終わるほうがよかったのではないかと思ったり。

しかし、話は戻るけど、これは叙述トリックである、と知りながら読み、それでもうまいこと騙されるような素敵な本に出会うことももちろんあり、そういうときはその著者の大ファンになるのであった。

仕事に追われない仕事術。マニャーナの法則。

時間術とか仕事術とかの本は、今までにもわりと読んできたほうだと思う。手帳も、ウェブサービスもいろいろ試した。しかしいつの間にか仕事の山に埋もれて、漠然とした不安をつねに持ちながら生活してきたような気がする。

それがなぜなのか。この本を読んでよーくわかった。

その日にやるべきことを決めていないから、であった。

いや、もちろん、「今日やらなくてはいけない仕事リスト」はあった。あったのではあるが、そこには、「絶対に今日でなくてもよいもの」や、その日に割り込んできたタスクもどんどん追記されていっていたのである。

するとどうなるか。「今日やらなくてはいけない仕事リスト」なのに、その日中に終わることはない。あらたに発生したタスクを加えていっているのであるから当然である。

さらに、「本当に」今日やらなければいけないのはどの仕事なのか、が非常にわかりにくく、その日の夜になっても、仕事が終わっているのか終わっていないのか、不明瞭になるのである。そして、今日やり残した仕事は、明日もやり残すことになるのである。

しかし、発生したあらたな仕事は、「明日やる」ことをデフォルトとすれば、「今日のリスト」は、最初に設定した数よりも増えることはない。ガチガチの超緊急事態は別だが。

あらたに気づいたこともあった。ウェブサービスの「Nozbe」は、タスクごとに見積もり時間を設定することができ、その日にやるべきタスクの合計見積もり時間も表示してくれるのであった。今までまったく気にしていなかった。見積もりが正確であれば、その日のうちに終わるのかどうか、前日に計画を立てる段階でわかる。

今日やらなければいけないのはこの仕事だ、というが明確になり、それらの仕事を完成させるために必要な時間が何時間で、自分の使える時間が何時間しかない、ということになれば、無為に時間を過ごすこともなくなる。ちょっと時間があいたときには、5分でできるタスクはないか、と少しでも進めるようになった。

以前は、ガンガン仕事をする、というのを気合いだけでやっていたが、この仕組みは今まで出会った仕事術よりも自分に合っていると思う。