仙台一校。

先日、20年ぶりくらいに高校の同窓生と会ってきた。同じクラスだったことがあったのかなかったのか(たぶんない)、そんな状態だったので、同窓会(といっても少人数のこじんまり)なのに名刺交換から、という会合。新宿ゴールデン街という場所もあいまって、アウェイ感のなか、お店の門をくぐったのであった。

しかし、宮城県仙台一高という強烈な(当時。今は知らない)求心力をもった学校を卒業した仲間ということで、すみやかに溶け込むことができてよかったのである。

仙台一高は、僕らが通っていた当時は男子校であった。いまは摩訶不思議なことに、男女共学となっている。謎である。当時はそんな時代がやってくるとは夢にも思っていなかった。本当に、先生も生徒も、誰一人そんなことを考えていなかったのではないか。僕らにとって、便利なiPhoneのおかげで生活が一変した、なんていうこととは比べれないくらい。仙台一高が男子校ではなくなった、ということのほうが、「ああ、時代は変わったのだな」と思わせるものだと思う。

同時期に、仕事でも、仙台の不動産の売買などがあり、ちょっとだけ「仙台」というワードを意識するようになっているここ最近、あらたな事実を発見した。発見したというか、自分が知らなかっただけであるが。

「志賀賢太郎」というプロレスラーがいる。ウィキペディアによると、1974年12月6日生まれなので、僕の1年上である。いや、ウィキペディアなんか見なくても、1年先輩ということは知っている。同じクラスに柔道部の友だちがいて、そいつが「志賀先輩、志賀先輩」と言っていた。志賀先輩は体が大きいと思っていたのだが、全日本プロレスに入門後、テレビに出て活躍するようになると、ああ、他のレスラーってとんでもなくデカイのだな、とリアルに思わされたのであった。

全日本プロレスが仙台に興業にやってきたとき、高校の仲間が飲みに誘ったところ、「社長に聞いてくる」と答え、誘ったほうは、「おおー、社長ってジャイアント馬場か~」とそれだけのことで感激していたらしい(伝聞なので真偽不明)。

僕は直接には、志賀先輩とは交流がなかったが、仙台一高出身ということで、ずっと気になる選手の一人であった。そして、今日、さきほど、新日本プロレスの「田口隆祐選手」も仙台一高出身ということを知ったのである。ふつうに調べれば出てくる情報だし、自身のツイッターでも仙台一高に関することに言及しているので、やはり知らないのは僕だけであった。宮城県出身というのは知っていたのだけど。

田口隆祐選手は、1979年4月15日生まれなので、僕が卒業した年に入学していることになる。だから交流はやはりない。田口選手は、若手、というイメージだったが、いつの間にか、もうすぐ40歳である。「タグチジャパン」でブレイクしていて、タオルが欲しいな、などと思っていたところである。

という、「田口選手って、一高だったのか!」ということをどこかで言いたかっただけの投稿である。

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