2019モナコ公室主催「薔薇の舞踏会」

毎年3月はモナコ公室主催「薔薇の舞踏会」に出席しています。去年と今年は、会場のすぐ隣にあるモンテカルロベイホテルに宿泊。本当に、すぐ隣なのでタキシードとロングドレスで、ホテルの庭から歩いて行けます。

モナコの中心にある「カフェドパリ」にて、一緒に出席する仲間たちと前々夜祭をしたときの様子。ほかにもメンバーはたくさんいて、全部で40人ほどで参加しました。カフェドパリは薔薇の舞踏会のときでなくても、モナコを訪れたときにはほぼ必ず行っています。そういえば、今回は朝食で利用する機会がありませんでした。ベイホテルの朝食ブッフェを毎日食べていたので。。

薔薇の舞踏会前日、ロスチャイルド邸で行われたフォトセッションの様子。

男性はタキシード、女性はロングドレス。それぞれペアで撮影したり、男性だけ女性だけで撮影したり。主催の「エコール ド プロトコール モナコ」より後日アルバムにして頂戴しました。

前夜祭は、いつも訪れる山の中の「暖炉のステーキ屋さん」。野菜がそのまま籠に山盛りになって出てきます。とくにここだけの料理(?)というわけではなく、フランスのほかのレストランでも食べました。このようにテーブルに籠でドーンと出され、みな、好きなものをとってガブリといただきます。みずみずしく、甘く、野菜ってこんなに美味しかったのか!と思います。

これがメインのステーキ。この日は、牛肉、鶏肉、鴨肉の3種類でした。ここで鶏肉を食べるのは初めてでしたが、やはり美味しい!いつも野菜を食べすぎてステーキを残してしまうので、今回は絶対に肉を全部食べるぞと意気込んでいたものの、やはり量が多く、、、

パプリカ!大きいですよね。

暖炉で焼かれたお肉をレストランの人がテーブルごとに取り分けてくれます。赤身の肉を、「ブルー」で焼きます。ブルーというのは、ミディアム、レア、よりもっと生に近い焼き方です。モナコやフランスで肉を食べるときはいつもブルーにしてもらいます。レストランによっては、ほとんど生と変わらないくらいで出てくることもありますが、それでも美味しいです。

滞在したベイホテルの前にはバス停があり、モナコ中心部に行くのも簡単です。1回2ユーロくらいでした。260円くらいかな。

モナコ、フランスに来たら絶対飲むのがこの「パナシェ」。ビールを甘い炭酸ソーダで割ったものです。シャンディガフはビールをジンジャーエールで割りますが、これは、いうなれば三ツ矢サイダーで割ったもの。海を見ながらのパナシェ、最高です。3月のモナコは、日中はかなり暑いです。はじめてモナコを訪れてパナシェを覚えてからは、日本でも自分でつくって飲んでいます。ビールではなくて発泡酒を使うと、本場の味に近くなると思います。発泡酒とサイダーを1対1が好みです。

そしていよいよモナコ公室主催「薔薇の舞踏会」です。2019年のテーマは「リヴィエラ」。毎年テーマが違っていて、今年が5回目でしたが、カールラガーフェルドがプロデュースした最後の薔薇の舞踏会。最高に素晴らしいものでした。

毎年、ファーストドリンクは、その年のテーマに沿ったものが出されます。去年は、「マンハッタン」というテーマで、そのものずばりでマンハッタン(カクテル)が出ました。

会場全体(廊下の隅々まで)がテーマにあわせてデザインされていますが、テーブルの上の装飾も毎回の楽しみです。

カールラガーフェルドがイメージする1950年代の「リヴィエラ」。

いつもはいつの間にか始まっている感じなのですが、今回は、カールラガーフェルドが亡くなったということもあり、追悼のスピーチから始まりました。ステージに大きな彼の写真があらわれたのはとても格好良かったです。こういうときに後ろ姿の写真というのは、というか、こんな素敵な後ろ姿の写真があるのは、やはり違いますね。ちなみに、右手にはカメラを持っています。

これはお料理の一皿目。薔薇の舞踏会は、お料理はいつも、前菜、スープ、メイン、デザート、チョコレートという感じです。どのお料理も見た目にも美しい仕上がりになっています。さらに驚くのが、1000人以上の出席者に対して、一斉に料理が提供されること。裏でどんなオペレーションになっているのか、いちど見てみたいものです。

今回はなかったのですが、たまに不思議な料理が出てくることがあります。パパイヤのようなものが焼かれた出されたことがあって、「これは果たして美味しいものなのか?」と思いながら、「いや、こちらの方々は普通に食べているからきっと美味しいものなのだ」と食べていたことがあります。今年は普通でした笑

白のシャツに白のパンツ。首元にはストール。

スカートがふわりとなる瞬間をうまいこと撮れました。

デザート。やはり美しいですね。

会場の廊下もテーマにあわせてディスプレイされていて、今年は壁一面にリヴィエラをイメージしたイラストが描かれていました。どこで撮影しても絵になります。

会場からテラスに出ると、モナコの中心部の夜景が見えます。夜になるとちょっと肌寒いですが、ここは好きなスポット。

僕をモナコへ連れてきてくれたボスとツーショット。

今年は40人ほどの仲間が3つのテーブルに分かれて座りました。僕はこのテーブルの、ホストを任せていただきました。5回目にして初の栄誉。いつも一緒にヨットに乗ったり、音楽をしたり、ペタンクをしている気心の知れた仲間たちと。とても楽しいテーブルになりました。

薔薇の舞踏会が終わり、日本に帰るまでのあいだにカールラガーフェルドのショップを発見し、そこで撮影。

 

2015年から5年連続出席している薔薇の舞踏会。これからも続けて出席していきます。

 

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ペタンク大会。

よく晴れた日曜日。仲間たちとペタンク大会を開催しました。

個人戦とチーム戦。僕は個人戦だけ出場して、チーム戦は仲間の応援をしていました。そのおかげで(?)我がチームは今シーズン首位を死守!もっと練習しないと出してもらえなさそうです、、、

とにかく暑い日で、応援だけでもひどく疲れました。

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ファンクバンド。

スタジオに入ってバンドの練習をしてきました。僕は学生の頃からメタルやらハードロックばかりやってきたので、まだ全然慣れていないのですが、ファンクバンドです。

タワーオブパワーとか、アースウインドアンドファイヤーとかが課題曲です。6月にステージに立つことだけは決まってるので、これから急ピッチで頑張ります!

※一番左でギターを持っているのが僕です。

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蒲郡でヨット。

仲間たちとヨットに乗るために愛知へ。

三河大塚の駅からタクシーで10分。ハーバーへ到着。

地元のメンバーと東京や大阪からのメンバーとで、ディンギーヨット3艇に乗りました。

もう、だんだん暑くなってきて、冬の装備と同じでは辛くなってきました。でも、海に落ちたらそのあとがまだまだ寒いですけどね。

私より若い人も先輩もいます。

今日は風がほどよく吹き、とてもいいコンディションでした。初めてヨットに乗る人も、とても楽しんでくれていました。

 

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私は魔境に生きた。

最近、仕事に必要な専門誌ばかり読んでいて、あまり本を読んでいなかった。kindleで何か落とそうと物色していて、ふと「椎名誠氏絶賛」という言葉に吸い寄せられ、この本をダウンロード。kindleで困るのは、その本の分量がわからないことだ。読み終わるまでに要する時間の目安は出るのだが、買ってみないとよくわからない。で、読み始めてはじめて、「分厚い」本だということに気づくのである。記録しているわけではないので正確ではないが、読了まで7~8時間くらいかかったような気がする。

 

戦争が終わっても現場に残され、日本に帰ることができなかった人たちの実話だ。食料も底をつき、道具もない。あたりに生育している植物などを食べるが腹を下す。漂流後のサバイバルも読んだことがあるが、違うのは、生き延びたとして自分たちが帰る場所はあるのか、ということだ。何しろ戦争が終わったのかどうかもわからない。もちろん勝敗もわからないので、日本国が存在しないのではないかという危惧を10年にもわたって持ち続け、それでもなお、生き延びようとしていたのである。最後まで生き延びたのは4名。十数名が命を落とした。

 

明日をも知れぬ毎日のなかでも、新しいことに挑戦する。精神力と知力、体力、知識。

 

原住民と交流するようになってからはゼロからスタートした鍛冶の技術でもって、彼らの懐に入っていく。密林を切り拓き、農園をつくる。自分に何ができるのか。いつしか、現地語に堪能になり、鶏や猪、犬などを飼い、タバコなども作れるようになっていた。

 

明日への希望、というとありきたにすぎるように思うが、文明社会から隔離されて原始人のような生活を強いられてもなお、生き延びるのだと思い続けられたのがものすごい。

 

 

しかしよくもこれだけのことを覚えていたものだ。「あとがき」によると、日本に帰国してすぐに書いたとのことで、参照する資料もなかったとか。10年のあいだに、ニューギニアの原住民と懇意になり、鉛筆なども手に入ったようだが、それにしてもである。あらゆることの詳細が記されている。月日の記録も毎日行っていたようで、日本に戻ったときにたった5日の誤差があるのみであったという。

 

ニューギニアを統治していたオランダの官憲に連絡をとることができるようになったとき、(戦況の行方はいまだわかっていなかった)、このまま山に残るのか、それとも敵国であるオランダに運命をゆだねるのか迷い、結局、後者を選択した。殺されるかもわからない、だが、10年に及ぶ密林生活に疲れ果て、運を天に任せたと。昭和20年から昭和30年まで外地にいて、いきなり日本に戻ったときの衝撃はいかばかりだったろうか。

 

現代に生きる我々も、自然災害その他で、いつなんどきサバイバル生活を強いられるかわからない。常日頃からの肉体の鍛錬と精神力と勉強が欠かせないと、あらためて感じた。

 

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小金井公園を散歩。

事務所の近くの小金井公園。子どもが小さいころはたまに自転車に乗っけて連れてきたものだ。花見の季節とか、いやふだんの日曜日でもとても人が多いのだけど、平日の昼間はずいぶんとまばらだ。夕方だったからかな。

一人の人が多い。ベンチに腰を掛けて何をするでもなく。リタイアした人がほとんどで、あとは学生のカップルくらい。家族連れであふれている公園をみても、たぶんあまり何も感じないような気がするけど、子どもに全く出会わない公園で、自分の子どものことを思い出した。

公園の空気を吸って気持ちはよかったけれど、なんとなくセンチメンタルな気分になってしまったのであった。

たまには公園で読書、なんて時間は引退するまでなさそうだなあ。

 

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和解。

相続の手続きをお受けする中で、「長いこと家族と会っていない」というお話を聞くことが、たまにある。

手続きを進めるには、遺産分割協議書に相続人全員の署名押印が必要となるので、なんとかして連絡をとらなければならない。手紙を送るというのが常套手段ではあるが、レスが得られないとこれまた途方に暮れてしまう。

幸い、手紙を読んだ先方からウチに連絡があり、私が同席などせずに直接当人どうしで話し合いができそうな雰囲気だったので、そのようにご依頼者に伝えた。

果たして、長年のわだかまりもなくなり、すっかり和解でき、遺産分割の話し合いも大まかに決まったと、とんとん拍子でことは進んだのであった。

うまくいなかいときもあるけれど、これは、だいぶ嬉しかった話の一つだ。

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