ペタンク pétanque

ペタンクという球技。フランスなどでは老若男女が公園で気軽に楽しんでいるようですが、日本ではまだまだ知名度が低いですね。僕は、つい何ヶ月か前に知ったのですが、かなり面白いです。今では仲間たちとほぼ毎月、大会を開いて、年間の得点ランキングなどをつけて争っています。

ルールは、簡単にいうと、1対1(あるいは1チーム対1チーム)の戦いで、的にもっとも近いところにボールを投げられたほうの勝ち、という感じです。しかし、これが言うのは簡単ですが、なかなかどうして、思ったところに飛ばない。よし、いいところにいった、と思っても相手に弾き飛ばされたりすることもあります。

先月、モナコに行ったときは、ヨットに乗りにマリーナに行ったらペタンク場が隣接されていました。ほんとに身近なスポーツなんだな、と感じました。

ドラゴンボールとデュエマ。

子どもがカード集めに凝っています。ドラゴンボールのものが好きなようで、ショッピングセンターにあるゲーム機で遊ぶためのものです。ゲームをするたびに1枚もらえて一喜一憂しています。家の近所には中古カードを売り買いするお店もあって、よく見てみるとけっこうな金額のカードがあったりします。1万円近くするものまでありました。すごいですね。

そして子どもが細かいデータまでよく覚えていること。ほとんど暗記している感じです。

そして最近ウチのラインナップに加わったのが、デュエルマスターズ、通称「デュエマ」。これはカードだけで遊べるものですが、ルールが最初よくわかりませんでした。You Tubeでルールを解説している動画を見たりして自習しました。カードパックについていた説明書ではまったく意味がわからなくて・・・。

僕が小さい頃は「ビックリマンチョコシール」を集めるが流行っていましたね。懐かしい。

もうとにかく、集めさせる、というのが儲かるんでしょうね。ドラゴンボールなんか、もう30年も続いているそうですから、僕みたいな親の世代も子どもと一緒に遊べるがいいのでしょうね。ということは、続ける、というのはものすごい価値なのだなと思いました。

銀行で待ちぼうけ。

ただいま銀行で、不動産売買の決済に立ち会っています。正確には、近くの不動産会社で、売主さん買主さん、仲介会社さんと書類のやりとりをし、売買代金の送金のために銀行にやってきました。

今日は、11月の末日。銀行が込んでいます。買主さんは銀行から住宅ローンの融資を受けてそのお金で売主さんに支払いをするわけですが、その融資のお金がなかなか振り込まれない。銀行の応接室で、暇を持て余した関係者たちが1時間ほども待たされる。月末によくある風景です。

しかし今日は、応接室ではなく、ふつうに銀行のロビーで待っていますので、関係者はみなそれぞれ自分の仕事(?)をしています。PCを出して作業を始めた人もいれば、読書をする人もいたり、じゃあ僕は事務所の業務マニュアルをつくろうと。で、少し飽きてきたのでブログを書いています笑

2時間が経過しましたが、まだ終わる気配はありません。

クラシックギター。

クラシックギターのコンサートに行ってきました。

逢坂剛の「燃える地の果てに」という小説の中で、フラメンコギターが重要なアイテムとなっていて、読み終わったらなんだか無償にギターを聴きたくなりまして。

You Tubeとか、iPhoneで聴くのもいいですが、やはり生はいいですね。最前列に座れたので、本当に細かいニュアンスまで堪能できました。自分もギターを弾くので、プロの凄さもよくわかりました。もう、なんというか指の動きが謎すぎて。やっていることは分かるのですが、なんでそんな動きができるの、って感じで。

クラシックギターでしたが、パーカッシブな奏法もあったり、バラエティにとんだ選曲でした。

そうそう、「燃える地の果てに」は、だいぶ面白かったです。

YAMAHA Sea Style

YAMAHAのサービスで、Sea Style というものがある。簡単にいうと、全国の提携マリーナで、ボートをレンタルできるというもの。

ふだんはディンギーヨットとセーリングクルーザーに乗っているのだけど、モーターボートで遊ぶのも面白そうである。湖で船をとめて、のんびり読書なんていうのもいいかもしれない。

これから寒い季節になるので、なんでいま申し込んだのだろうと自分で自分がよくわからないが、来年の夏あたりはいろいろ挑戦しようと思っている。
送られてきた会員誌を見ると、世界のリゾートで船に乗る写真などがある。今まで、そういうところとは無縁だったので(過酷なのばっかり。。)、これから行ってみたいとも思っている。

「相続の6つの物語」

エンディングノートは80代、60代、70代は「やりたいことリスト」だ、という。それはそうかもしれない。しかし、60代になるまで「やりたいことリスト」がない人生というのも嫌だな。何歳だって「やりたいことリスト」を片っ端からやっていくほうがいいに決っている。
相続にからむ仕事をしていると、「自宅は売ってほしくない」という親と、「兄弟だれも住まないのだから売ってしまいたい」という子どもの思惑が対立することがある。自宅を売る、ということに対する抵抗感はまだまだ大きいのか。しかし、相続財産が自宅とわずかの現金というケースより、相続財産は現金のみというケースのほうが圧倒的に揉めないのである。
いずれにせよ、人は税金のために生きているのではない、というのは納得だ。

「どんでん返し」

他人のフィルターが邪魔なときがある。「これは美味しいよ!」と言われて、期待して食べても、「うーん、そこまででも・・・。」ということもある。というか多い。味覚なんて人それぞれだからそれも当然と思うけど。

まあ、食べ物については、その人がよかれと思って紹介してくれているものなので、よしとしよう。

しかし、嫌いなのが本の帯である。当然、売るために書いてあることなので、盛っている。「衝撃のラスト!最後の一行で世界が一変する」とか書かれていると、どうしたって、最後の一行にどんなことが書いてあるのだろうと意識してしまう。

「どんでん返し」系のミステリは大好きだ。しかし、「この本はどんでん返しがありますよ。叙述トリックですよ」なんてはじめから言われて読むのはぜんぜんダメである。

まったく何の先入観もなく読むのがよい。Kindleは「帯」がないという点においても優れているかもしれない。

で、最近、読み終わって、「え!?マジで!」と思ったのが、三浦綾子「海嶺」。江戸時代の船乗りが海難で漂流し、アメリカやらイギリスやらを転々とする話なのだが、そのラストに驚かされた。どんでん返しというわけではないが、マジで!?であった。

物語というのは、ラストシーンをどうするかで、その印象はやはり大きく変わるだろう。村上春樹の小説でいちばん好きなのは、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」だが、ラストシーンがとくに好きだ。単純なハッピーエンドより、切ない終わり方のほうが好きなのだ。

「君の名は」という映画は面白かったが、ラストシーンは、出会えず終わるほうがよかったのではないかと思ったり。

しかし、話は戻るけど、これは叙述トリックである、と知りながら読み、それでもうまいこと騙されるような素敵な本に出会うことももちろんあり、そういうときはその著者の大ファンになるのであった。